France2

My Little Journey in France.(2)

"ブルボン王朝へのいざない"

ヴェルサイユ宮殿入り口のゲート


年間170着の衣装をオーダーしたという マリー アントワネットとその部屋


1755年11月2日、神聖ローマ帝国の皇帝フランシスU世とマリア・テレジアの末娘
としてウィーンに生まれた。1770年、ハプスブルク家とブルボン家の同盟で14歳で、
16歳のルイ16世と結婚。4年後、18歳と20歳で王、 王妃の位につくことになった。


「絶対王政」とは国王の権威は人と神の間に位置し、国王は 
半ば人間の神格化のような存在で、国王を頂点としての括弧
たる中央集権国家のことである

革命の原因として

産業が発達していくことによって、経済的にゆとりを持った市民が
制度上の矛盾に気づき始めた

モンテスキュー「三権分立」、 ルソー「社会契約論」の主権在民
啓蒙思想が当時の人々に受け入れられていった。

公平な税金を払うのを嫌った貴族が自分達の存在に一番必要な
王政を破壊するきっかけを作った

経済的には相次ぐ戦争と、アメリカ独立への投資によって国家は
破産状態になっていった。


マリーは1793年10月、「国庫を浪費した」件と「外国に軍事秘密を漏らした」
件、「息子と不適切な関係を結んだ」といういわれのない件で逮捕された


10月16日朝5時からパリでは太鼓が叩かれたという、いまで言うならば花火だ!
ルイ16世が処刑されたときは、幌付きの場所に乗せられたが
彼女は通常の罪人と同じ扱いの荷車に乗せられ 罵詈雑言を
浴び 大衆にさらされながら処刑場に向かったという

そのときの様子をダビッドがデッサンで残しているが 背筋をピンと正している
姿は王妃としての最後の威厳を保とうとされたのだろうか?



人々の罵詈雑言に耐え背筋を正して
刑場に牽かれる、王妃マリーアントワネット


正午頃、馬車は革命広場に到着した。
王妃は1人馬車を降り、断頭台の木の階段を黙々と登ったと言われている
わずか4ヶ月前 夫ルイ16世がギヨタン博士に作らせた

苦しませる事なく大量の人数を処刑可能にする「草刈鎌状の刃」
を持った器具”ギロチン”によって処刑は執行された 

最後の言葉はただ一言、「急いでください」だったと言う、享年37歳 



宮殿中庭に立つ”ルイ17世”? とその庭園




後世 条約締結等の世界のブレイン達による
会議などが開かれた鏡の間等、栄枯盛衰の感があります