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中国の旅 (2)


「上海-豫園-烏鎮-西湖-桂林-蘆笛岩(鍾乳洞)-七星公園-西安」

「大巌塔-華清池-始皇帝陵-兵馬傭抗-北京-万里の長城-紫禁城」

 


”西安(長安)” 碁盤の目のようになっている 西安の 街並我々は桂林から飛行機できましたが 飛鳥の時代 遣隋使、遣唐使たちはこの 遥かな道のりを歩いて辿ったのである


城壁の上の建築


城壁の横にあった建築物



 


”西安の城壁” 西安は町の周りが堅固な城壁で囲まれていた 異民族の襲撃にいつも晒されていた為である そういえば桂林では目の色の違う(壮族自治区) 中国人を見ました


秦の始皇帝陵 
私ではありません

華清池




始皇帝陵は秦の始皇帝が 中国の西安郊外に総勢70万人と40年の 歳月をかけて作られた巨大な陵である 華清池は この近くにある


西洋人のような楊貴妃の像
華清宮の池の前に立っている

貴妃池 楊貴妃専用の浴槽



華清池は西安から東に30k離れた驪山の麓にある。 三千年前の西周時代からの温泉の湯元があったためで 歴代の皇帝及び現代も 為政者の癒しの湯治場として 使われている 右画像は玄宗皇帝、楊貴妃二人だけの専用風呂だが 意外と小さかったし冷たそうな大理石の石風呂であった   横にあった女官達の風呂は大きく 宦官が世話をした 楊貴妃は718年蜀州の官吏楊玄炎の娘として生まれた 名は楊玉環と言い 16歳の時、官名(ミス)に選ばれて 宮殿に入り、玄宗の子、寿王の妃となりました ところが玄宗皇帝は二人だけでこの温泉に入ったと云う


200人も入れそうな巨大な浴槽
召使達専用の風呂

秦始皇帝兵馬俑博物館
兵馬庸抗の上に建てられている





馬車の俑



気が遠くなるほどの兵馬俑




始皇帝陵の東隣1.5kmにある 1974年に農民に よって偶然発見された 6000体以上にのぼる 陶俑が眠っていた ここが一番大きい坑という ことであった



補修されていない陶俑がゴロゴロと転が っていた。まだ3つの抗が残っているとか 発掘してしまうとどの程度 保存が効くか 判らないので 慎重にする必要があるとか



三蔵法師の建てた大巖塔
中に入って塔に登った

大雁塔は西安市南方5Kmにあり、 『西遊記』で知られる 玄奘三蔵が インドから帰った後で 持ち帰った サンスクリット語の仏典の保存の ために建てられたという
明日はまた飛行機で北京へ行く